うまれてはじめて、じゃどこぞのディズニーのアレになってしまいますが、何十年も生きてきて初めてインフルにかかりました。今はほぼ治っておりますが、相変わらずの喉の弱さがあるので咳が残っています。

TOEICのアビメが届いた数日後、母方の祖母が亡くなりまして、先週は実家に帰省しておりました。
姉に途中で拾ってもらったのですが、姉が実家に帰った日にインフルになり、葬儀の日に多分私も発症したのでしょう。夫も今回参列してくれたのでなんとか水曜に帰ってきたものの、木曜の朝には38.9度まで上がりました・・・。

姉は長男が今年小学生、長女が幼稚園、と準備で忙しくて多分免疫力もなかっただろうし、子供が沢山いるところだと仕方ないだろうと思いましたが、私が見事にうつったのが笑えます。

というのも私は花粉症がきつくてですね、ずーっとマスクしてたんです。
姉の子とそんな会ったことないし顔わからんかなーと思ったのですが、鼻たらしになるよりかはましだろうと思って完全防備で過ごしておりました。

なのに葬儀が終わるまで・・・といってももう熱が酷くて最後まで出られなかったのですが、終わるまでにうつったのが私だけ、という失態というか失笑というかでした。

夫もやばいのでは?と思ったのですがぜーんぜんです。鼻が痒い(花粉症)ですから。
夫には申し訳ない日程でした。途中で葬儀も抜けてきたのですが、それでも帰ってきたのが20時近く、それで翌日もう会社いってますから。

数日後に父親が発症し、母親だけか?母親は会社で補助が全額でるから予防接種うったのがよかったのでしょう。注射が嫌いな父親と私は見事にかかっています。

祖母は94歳、大往生といってもいいのかもしれませんし、お見舞いに行った際やその前からもう覚悟はしておいてくれ、といわれている状態でした。
身内から電話がきたら嫌な予感がするので出たくないなとずっと思っていて、それが現実になってしまって、悲しかったです。
布団に寝かされていた状態でも綺麗な顔をしていて、起きるんじゃないかって思えて、そこではあんまりわからなくて。

ただ喪主は伯父だったのですが、組合の方やいろんな人に挨拶していて、状況的に泣いたらダメなのでしょう、いつも元気な伯父が声を震わせて挨拶していたのをみて、ああ本当に死んでしまったのかと。

泣きたい立場の人が泣けないって辛いことだよなぁと、亡くなってしまったのももちろん悲しいけれど、母親や叔父が泣けない立場だったのを見るのも悲しかったです。

葬儀が終わった翌日、朝一番に近所の病院で、検査するまでもなくこりゃインフルだろうね、すぐ陽性反応でるよ、といわれ、本当にすぐに出て、熱でハイテンションになってすごしていましたが、1週間たってだいぶ治った今、やっぱり祖母との思い出が頭をよぎると悲しいです。